ちょっと前の記事で閉店をお知らせした「さかい家」は、
引き取り手が見つかって、来年再会されるんだって。
(北海道新聞の記事)
あの落ち着いた雰囲気も、クリームぜんざいも、みんなそのままだったらありがたい。
堺町通りをぶらぶらして、人の多さに疲れたら逃げ込んでみるといいかも。
来年3月で閉校となる末広中学校の閉校式が11月12日(土)に行われたとの記事が道新に載っていました。
一週間前の11月5日(土)には北山中学校の閉校式が行われたと聞きました。
下記は小樽ジャーナルの北山中閉校式の記事です。
http://otaru-journal.com/2016/11/1105-1.php
末広中と北山中は統合となり、新校「北陵中学校」となるそうです。
70期にも両校の卒業生が多数いると思うので、お知らせしておきます。
お知らせついでに、入船市場が店じまいという記事も。
この建物は我々が高校を卒業した後に建てられたものなので、ピンんとこない方もいるかと思いますが、
「市場文化」が残る小樽で、市場が姿を消して行くのは寂しい限りです。
湿った話題が続きます。
今度は是非明るい話題を載せたいと・・・思います。
この1か月。台風が相次いで北海道を通過していきました。
8月17日 7号
21日 11号
23日 9号
3つも台風が北海道に上陸するのは観測史上初めてとのことです。(それも1週間の間に)
さらに8月30日、沖縄まで行っていた浮浪児台風10号が北上し、大雨を降らせて通過して行きました。
相次ぐ大雨で川は増水。山は水を持ちこたえられなくなってしまいました。
川の水は警戒水位を超え、越流(堤防を越え)し、民家や畑へ。
保水力の限界を超えた山は、土砂崩れを起こし、水と土砂が道路や民家を削ってしまいました。
先日、所用で足寄まで出かけてきました。
帰路、十勝側から日高山脈を見ると、普段は木々に覆われて「こんもり」としているはずの山肌がところどころで、いびつにずれていました。水が山の土砂を流したのでしょう。
発災当初は札幌方面から道東方面に行く国道は
石北峠 ×ダメ
狩勝峠 ×ダメ
日勝峠 ×ダメ
野塚峠 ×ダメ
えりも ×ダメ
道東道 ×ダメ
札幌方面から十勝へ向かうには、旭川~上川~遠軽まで北上し帯広へ南下しなければならないありさまでした。
現在は日勝峠以外は(仮)復旧しましたが、帯広釧路方面へ行くには道東道1本が頼り。
片側1車線の高速が時間帯によっては渋滞しています。事故ったらヤバイよ~~。すぐに東西分断ダヨ。
JR根室線(札幌~帯広)も途中をバスで代替運行です。復旧のメドはたっていません。
JR北海道もヤバイよ~~(>_<)
下の写真は日勝峠(国道274号)の様子です。(室蘭開発建設部提供)
現場では日勝峠を元に戻すには3年以上はかかると言っています。
今更ながら、自然の猛威はすごいと思った、北海道の激甚災害です。
でもね、相変わらず外国人観光客は結構来てます。
ルートを工夫すれば、北海道観光は大丈夫ですよ。
道は寸断されているけど、観光地は元気です。
あまちゃん くらいから、朝の連ドラ見てます。
今放送している「トト姉ちゃん」も三女のよしこちゃんが可愛いくて、見てました(見てます)。(^-^;
美子ちゃんかわっちゃったんだよなあ。
トト姉ちゃんに関しては、「暮らしの手帳」の創業者大橋鎭子さん。くらいの認識でした。
もうちょっと知りたくて、検索してみました。
そしたら、そしたら小樽とつながってました。 知ってましたか?
トト姉ちゃんの母方の祖父(宮原満吉)は九州小倉の出身で明治期に新潟で油田をあて、その後小樽に来たそうです。牧場を経営したり小樽新聞(のちの道新の一部)の経営。その娘の宮原久子(トト姉ちゃんのお母さん:木村多江)は小樽で成長し小樽高女(桜陽)を卒業後、東京の女子美術学校に行ったそうです。
トト姉ちゃんのお父さん(大橋武雄:西島秀俊)は岐阜県の裕福な家庭に生まれ、10歳の頃親戚だった深川の材木商の養子となり、一人息子となる。その後北海道帝国大学農学部に進み、宮原久子と出会ったそうです。(出会ったところは岡本病院とか書いてあるものもありました。)
結婚後、父親の仕事(日本製麻)の関係で北海道を転々と転勤生活。
父親がドラマと同じく肺結核になったため一家で東京に戻り、鎭子が小学5年生の時に死去。その時鎭子は喪主をつとめたと書いてあった。(参考 wikipedia)
トト姉ちゃんも小樽で育っているみたなので、
もうちょっと、調べてみます。
6月3日(金)の北海道新聞朝刊から切り抜き。
潮陵高校ボート部が創部110周年を迎え、記念のDVDを制作したとの記事がありました。
そこで、資料を元にボート部の歴史を振り返ってみた。
ボート部(昔の名称は端艇部)の歴史は古く、
明治35年(1902)の小樽中学開校の翌年に設立された「校友会」(現在の生徒会)において、
文芸部(演説・討論・会誌発行 等)
運動部(撃剣・柔道・庭球・野球・遠足・端艇 等)
庶務部(庶務会計)
が創設され、5年生まで(当時は5学年)がそろった明治39年に
雑誌部・演説部・端艇部・野球部・庭球部・撃剣部
の7部になったらしい。(撃剣部ってのは剣道部だと思う)
このことから、明治39年を創部元年として110周年としているらしい。
しかし、道新に物申すわけではないが、創部110周年でOB65人とはこれいかに。
(存命のOBが65名ということなのかな。言葉足らずだなあ)
端艇部は明治36年(1903)、日本銀行支店のボート一隻を借りて練習したのがその起源と聞きます。
明治39年には1、2年生が1円、3、4年生が80銭、5年生が50銭を徴収して自前の新艇を建造したそうです。(下級生はより長く使うから、金額が多いのかな)
ボートの名前は「北の浪」
大正15年(1926)には全国制覇を達成。その後昭和5年まで5年連続全国制覇を果たしています。
下の写真は大正元年に建造された新艇「鳳」
現在「鳳5号」というシングルスカルがあるらしい。
端艇部歌も張っておきます。
昨日から公開された「世界から猫が消えたなら」という映画を道新の小樽後志版で紹介していました。
主なロケ地は函館らしいのですが、小樽も手宮や天狗山がロケ地として使われているそうです。
その下の記事は天狗桜についてです。
天狗山ロープウェイ山頂駅。小樽で最後に咲く桜だそうです。
以前はもう少し枝ぶりが立派だったと思うのですが。剪定されてしまったのでしょう。(>_<)
車で山頂まで行ってみました。
結構たくさんの人がロープウェイで上って来て、ここから見える景色に感動してました。
「わぁ~」「きれいねぇ」「お天気でよかったわねぇ~」
写真ではかすんでいますが、遠く増毛連峰の冠雪も見えて石狩湾を一望できました。
上のカップルがず~~~っと自撮りを繰り返していたので、
なかなかシャッターチャンスがなく。
もう待ち切れず、パチリ。 お幸せに (^_^)/
もう一題
去年、一昨年と全道大会で活躍してくれた、潮陵高校野球部。
春の高校野球小樽支部予選の結果です。
初戦敗退。
まあ、春の大会は甲子園につながらないからいいか。 (>_<)
40周年同期会の回答用紙にこんなショップカードが同封されていました。
久保友紀雄くん(2G・3F)が2011年に始められた、
昭和歌謡&POPS リクエストBAR 「MemorieS メモリーズ」
・・・省略すると MemorieS
約30年勤めた会社をやめて、長年思い描いていた「昭和歌謡バー」をやっているそうです。
長年集めたレコードやCDが聞けるみたい。(ちょっとのぞいてみたい!! )
お店のホームページはこちら
FaceBookページはこちら
https://www.facebook.com/Yokohama.MemorieS/
還暦を間近にしたオジサン、オバサンには居心地のよさそうな場所ですね。
場所は
横浜市中区真砂町2-12 関内駅前第一ビル地下1階
関内駅からすぐ。 横浜スタジアムの帰りや中華街の2次会でもいいかも。(^_^)v
70期には首都圏在住者も多いので、一度のぞいてみてはいかがでしょうか。
完全にPR記事になってしまったのですが・・・(笑)
久保くんとは同じクラスになったこともなく、
紹介記事を書くにあたり、メールで久保くんに了承をいただきました。
久保くん、ありがとうございました。
同期の活躍の話題があれば、これからも紹介していきます。
・・てか、書き込んでくれる70期にはID送付しますので、よろしく。m(__)m
ニトリが小樽に美術館を開く。1月頃に道新の予告記事を紹介しましたが。
昨日の北海道新聞に続報が掲載されました。
ニトリが色内町にある歴史的建造物を利用して開設する美術館「小樽芸術村」についての記事です。
計画中の3棟のうち、2棟が7月にもオープンするそうです。
横山大観の絵も見られるらしっス \(^o^)/
140点におよぶステンドグラスコレクションもあるそうです。
それぞれのステンドグラスがどんな風に配置され、どんな感じで見られるのか、
楽しみです。
8月の40周年同期会の時には、小樽の新しい観光スポットとして、
見学して帰るのもいいかも。・・・見学料 いくらだろう?
似鳥氏の「小樽芸術村」についての思いも掲載されていました。
かの年のかの新聞の初雪の/記事を書きしは/我なりしかな
かなしきは小樽の町よ/歌ふことなき人人の/声の荒さよ
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